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PHAの社会的自立支援事業レポート
パソコンでお仕事[第2回]

岡部翔太 

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 「身体的な負担が少なく、時間が自由になる仕事がしたい」そんなPHA(HIV感染者・患者)の希望から始まった「PHAの社会的自立支援事業」。現在は主に「パソコンを使った在宅勤務」を目指した活動を進めています。全てのPHAに役立つ活動ではありませんが、PHA自身が人生設計を作っていく上でのチョイスの一つとして有効な場合があるのではないでしょうか。

 この活動を通じ、最近パソコンでのお仕事を始めた岡部さんの手記の第二回目です。

 ■Macと新年のご挨拶

 『あけましておめでとうございます』

 正月になるとMacのスタートアップスクリーンにはこんなメッセージが出現する。この原稿が載るLAPニュースレターがいつ発行されるのかは知らないが今はまさしく正月である。カップルでわざわざ混雑している明治神宮へ初詣でに行くお正月、浮かれた人でごったがえす成田からワイハへ飛んでワイドショーの取材に答える芸能人の後ろでさりげなく写ってみせるお正月、ディズニーランドへ行ったものの入園できず門の外でカウントダウンをするお正月、ただただひたすら寝て過ごすお正月、皆さんはどんなお正月をお過ごしでしょうか?

 こういう仕事していると仕事始の日に納品しなければならないものがあるので正月からMacに向かわなければならない(この原稿を書くためにでもあるけど…)。

 今日の天気が晴れなのか雨なのかもわからないときもあるくらいだから正月ということが判っているだけまだましか。自宅で仕事をしているのでよっぽど忙しくない限り、昼頃起き出してシャワーを浴びてブランチをとって濃いめのコーヒーを飲んで今日はどんだけ仕事を進めようかと考えながらタバコを燻らせる(わぁ〜なんて優雅!)、こんな生活をしているのだから正月がなくたってどーってことないか。仕事がなければいつまでもホリデーだしね(トホホ、それは困る)。

 ■Macを我が家に連れてくる

 Macの専門誌の投稿欄などを見てるとMacを買った人たちは『Macが我が家にやって来た』という表現をよくしていうようです。たぶん配達してもらっているんでしょうね。パソコンなんて配達してもらうのが普通か。

 でも、僕は連れてきたんです。中古品だったこともあってMac本体の次に大切だといわれている梱包材(段ボール箱など)がなにもついていなくて、暇な時にプチプチつぶすビニール(名前忘れた)をぐるぐる巻きにしてもらって電車に乗ってかかえてきた。

 興味がなかったものを買ったわりには気合い入っちゃって、でも買ったものはその日に手にしないと気が済まないたちなのでがんばっちゃいました。今でも8500を修理するために秋葉原まで担いで行くんで結構力はあるみたいです。

 ■何がしたいかが大切?

 MacのセッティングやソフトのインストールはほとんどLAPの方たちにやってもらいました。

 「で、なにがやりたい?」て聞かれて、一瞬戸惑った。何がやりたいって聞かれても大して興味もなかったものを買ったんだし何がどの程度どうやって出来るのかもわからないのに、かといって床の間に飾っておくわけにもいかないし。ちょっと考えて『パソコン通信』って答えた。

 何であの時『パソコン通信』って言ったのかわからないんだけど今考えると『パソコン通信』から始めて正解だったと思う。タイピングの練習になるし出したメールの返事が来てるかが楽しみでMacを起ち上げる習慣がつくし何処の誰だかわからない人と知り合えたりいろんな人の意見や情報を知ることが出来るのです。通信の楽しさや便利さはLAPニュースレター15号の阿部努さんの手記のほうが詳しく書いてあるのでそちらを参照してください。

 パソコンを購入するにあたっていろいろな状況で購入理由があると思う。会社で使っているから家にも導入するとか3Dがやりたいとか、流行っているからとりあえず買ってみたとか。でも、買っては見たものの今ではほこりをかぶっているっていう人わりといるんじゃないかな?(そういう人いたら連絡下さい。もちろんタダで引き取りますよ)

 描いていた大きな野望はことごとく崩れさるものです。あれがやりたい、これがやりたいって思っても、機械に命令を送るのは自分だけど、受けた命令を処理するのはこの箱だからね。何がしたいかも大切かもしれないけど、パソコンに向かって操作になれる習慣がつくことが第一だと思う。最初から3Dや画像処理なんてよっぽど興味がなかったら無理だって。ソフトのマニュアルを読むだけでも相当大変なんだから。

 最初はマニュアルをそれほど必要ないものから始めてパソコンの操作を把握すると他のソフトも大体のニュアンスで使えるようになるよ。僕の場合は通信から始まってちょっとゲームにはまってそれからいろいろなソフトをちょこちょこと手を出したという感じです。

 あとは、これがもっとも大事かもしれないんだけど、パソコンに詳しい友達、それも自分の持っている機種と同じものを使っている人を犠牲? にすることです。システムがぶっ壊れたとき、操作がわからないとき、何が何だかわかんないとき、いつでもどこでも答えてくれる人。本当、皆さんその節はお世話になりました。興味もなかった奴が仕事が出来るまでになるくらいだから、眠ってるパソコン久々にを起ち上げてみませんか?

 ■悪夢の始まり その2

 なんとな〜くパソ通にも慣れてきて、ゲーム(といっても麻雀くらいなんだけど)もなんだか飽きてきた頃、LAPではなんだか怪しげな話が進みつつあった。それは、LAPでもホームページを起ち上げようかというはなしです。

 でも、翔太君には関係な〜いって興味ある振りぶっこいて内心知らん顔してしてたんです。だってインターネットの知識なんてそのころ『パソコン通信は日本国内、インターネットは外国の人との通信、したがって英語の出来ない翔太君にはインターネットは必要ありませ〜ん』って思ってたからね。今でもはっきりとはインターネットのしくみなんて説明できません。最近まで携帯電話は電話機同士が近ければつながるもんだと思っててつながらない時はどこか遠くに行ってるんだというトランシーバーのちょっと高級品って本気で思ってたくらいですから…。

 知らん顔してたって話の内容は耳に入ってくる。耳に入ってくればしかとするわけにもいかずいつの間にかモニターの中で繰り広げられるネットサーフィンとやらに釘付けになっていた。だってホームページって絵や写真(H画像ばかり見てた気がするけど)が出てきて楽しいんだよ。これどうやって作るの、こんなページはないの、いつしか興味がわいてきて差し出されたんです。LAPホームページ用のデータとチバレイのホームページの本。

 ハメラレタ! 墓穴を掘ってしまったとは思ってみても後の祭り。次から次へとホームページに載せるデータは差し出され、まだかと催促され1ヵ月、95年12月1日のエイズデーにLAPホームページはめでたくたち上げの日を迎えたのです。

 ホームページのたち上げに参加できたことで今の仕事の基礎が出来たと思います。ホームページはHTMLという言語を使ってプログラム(CGIやJAVAなどもあるけど)していくんだけど、僕にはこれがゲームみたいにおもしろかったんです(知識がないというのは怖いもんです)。言語のスペルが間違えてると命令がうまくいかなかたり順番を入れ替えてレイアウトを考えたり、画像の処理やロゴの作り方なんかもホームページを作りながら憶えていったんです。

 そしてなによりも得たものは否が応でもパソコンに毎日向かわなければならなかったこと、それが苦痛じゃないことに気がついたことだと思います。


 今回までの話はパソコンを買ってから5ヵ月くらいまでの話なんだよね。これの題名って『パソコンでお仕事』でしたよね。仕事の話に辿り着くまでまだまだなんですけどいいんでしょうかね。

 下らないことばかり書いてるお前がいけないって!?[まだまだつづく]

(岡部翔太)


LAPではパソコンの使い方講座を行っています


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