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公衆衛生医からのエッセー
spiritual health考[1]

公衆衛生医師 JINNTA 

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 ■身体的、精神的、社会的、そしてspiritual

ライフ・エイズ・プロジェクト(LAP)NEWSLETTERイラスト 健康の要素には、身体的、精神的、社会的そしてspiritualがあるとされている。実際、身体状況が客観的にみて良好ではなくても、元気な人は存在する。また、障害を持って以前よりいきいきした人すらある。おそらくこういうのをspiritualな健康がいいというのであろう。現実問題、からだの「検査値」が全て正常値で、とくに何不自由なく生活しているような人で、なんとも不満足で不健康・・な感じを与える人も存在する。体も丈夫で何一つ不自由なさそうだけど、やはり人は「いろいろあるん」だといえる。
 世の中では介護の話は良くクローズアップされるが、実際は、少々の故障を抱えていても、元気な年寄りはたくさんいるし、こういう元気老人が実際は85%は占めていると言われている。そのコツとしては、人とのつながりをもったり役割意識を持ったりすることがあげられているが、それがこころの安定や活力をもたらすのだろう。
 さて、spiritualと言うと、霊魂とかと訳せそうで、なにかオカルトな世界になるが、おそらくそうではなく、こころの内的な要素を言うのであろう。活力と言うことばを先ほど使用したが、そのようなものかもしれないし、また、それは必ずしも自律的なものではなく、他律的なものかもしれないのである。昔から歌に「あなたがすべて」とか言うではないか? それはspiritualなものかもしれない。
 spiritualはまた宗教的とも訳される。日本人は正月に神社に詣で、お盆には仏教徒として墓参りをして、12月にはクリスマスを祝うというように、宗教心が少ないとよく言われるが、実際は、多くの国では宗教と生活は密接に結びついているようである。
 世の中にはいろいろな信仰があり、読者にも各自の信仰があると思われるので、ここで個別の問題に深く立ち入ることは避けたいが、信仰はspiritual healthの一つの要素であることは否定できないであろう。信仰は内と外との会話であるからである。

 ■外的条件と内的条件

<JINNTAさんの著書>
生草医者のひとりごと〜おちこぼれ公衆衛生医のエッセー
『生草医者のひとりごと〜おちこぼれ公衆衛生医のエッセー』(保健計画総合研究所刊 税込\1,575)

 私は疫学という方法論を用いて公衆衛生という「集団」「環境」にアプローチする仕事をしている。それは、外的な条件を個人個人に適応させるように変化させる仕事である。つまり、基本的には外的条件を整える科学であると言える。おそらく、個人の健康は、外的条件と内的条件の両方の要素によって成り立っているのであろう。残念ながら、内的条件については、公衆衛生の手法はこれまで十分な力は発揮していないと思われる。もとより、「患者指導」とよばれるものはアドバイス以上の効果を呼んでいるとは思えない。科学的事実に基づいたアドバイスを最終的にどう選択するかはおそらく「他律的」ではないからである。他律的な「患者指導」ならそれは科学を提供しているのではなく、信仰を求めているのかもしれない。
 実際、あれをこうしなさい、ああしたほうがいいよという健康上のアドバイスより、心に響く一言がその人の行動を変えてしまうことは多いだろう。こういうのは、俗に人生の転機などと言われるものだろうが、健康に大きく関係しているように経験的に思う。

 ■科学になりにくい部分

 さて、公衆衛生では、「集団」とか「環境」の状態は、疫学という手法をつかい、ベンチマーキングなど、比較をもとにした手法によって測ることが多い。
 しかし、信仰というのはおそらく、比較性の少ないものなのである。spiritual healthといわれるものは、わが国では(おそらく霊魂ではない)信仰なり、何か依るべきもの(それは自分でも良いだろうが)湧き上がるような元気さなり、というものは比較には向かないものかもしれない。ここに科学になりにくい部分がある。
 著者はわが国ではごく一般的なある宗教を信仰している。宗教により自分を見つめ直すと言うことは確かに大事であって、それは医療現場でも本当は必要なことかもしれない。自分を見つめ直し、内的なものを問うことから次のステップは始まるのだろう。
 しかし、現在の医療者は、医療者─患者の相対的な関係で医療を考えるか、ないしは科学を絶対的なものとしてそこから患者のことを考えるのが通例であろうかと思う。では本当に科学は絶対的なものであろうか、と言う問いかけがなされてくる。
 現在の科学の多くは分析と比較によって事をなしており、有機的なものを無機的なものに、つながりをはずして独立してとらえること、そして標準をつくりそれとの差異をあきらかにすることが方法論としての位置を占めている。しかしspiritというのは、そのような方法では分解不可能な謎として科学ではとらえられがちである。将来的には疫学研究や脳研究などでspiritを分析し、標準化するのも可能となるかもしれないが・・・・

 ■患者のspiritを向上させるのは?

 多くの医療者は科学者として仕事をすることが求められる。科学性の裏付けがない医療は、依るべきところのない、でたらめなものであることはもちろんであろう。ただ、それだけで患者の医療が完結するわけではない。患者のspiritual healthを作り出す医療というものが求められてくるだろう。これは、医療者─患者の相対的な関係では解決できず、むろん科学性だけでも解決できない。カウンセリングは患者のmentalは向上させるが、spiritとは違うような気もする。患者のspiritを向上させるのは、心に響く言葉、宗教者の役割かもしれないと、最近思うのである。末期医療で語られているホスピスやビハーラという活動はおそらくそう言う問いかけから生まれたものではないかと感じている。
 いくら世の中が科学的に進歩しても、人が悩み苦しむさまはおそらくあまり変わっていない。先人がその解決方法を示したものが信仰であり、宗教であるかもしれないが、医療がその技術以外に根元的に提供しなければならないものは、何かと言うことは今後追求されるべきであろう。

[JINNTA/公衆衛生医師]
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