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公衆衛生医からのエッセー
公衆衛生に働く医師について

FAIDSスタッフ JINNTA 

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 ■保健所から大学へ赴任

 私は公衆衛生医師である。長らく保健所に勤めていたが、つい最近、大学の教員に赴任した。公衆衛生と呼ばれる領域に働く医師は、あまり多くはないが、それなりの人数がいる。もちろん、医師はすべてが公衆衛生の向上に寄与する存在であると医師法は告げており、その意味では臨床医師も公衆衛生的存在であるが、ここでは一般に、公衆衛生領域と呼ばれるものを指すことにする。日本のエイズ対策では、その対策が奏功しているところは、公衆衛生医師が中心となって行われてきているのが実際である。

 ■理解されていない「公衆衛生医師」

ライフ・エイズ・プロジェクト(LAP)NEWSLETTERイラスト さて、肩書きが医師であるとわかると、「何科のお医者さんですか」と聞かれることが多い。私は公衆衛生医師であるが、このことを説明するのに時間がかかる。残念ながら日本では公衆衛生医師という専門への理解はあまりないのが現状である。

 ■同じ領域で働いているのに

 とりわけ残念だった経験がある。ある町の保健婦さんに、私の専門が公衆衛生であることを告げると、大変不思議そうな顔をして、「公衆衛生っておもしろいんですか。変わってますね」というのである。おそらく彼女らの実感は、公衆衛生領域に進む医師というのは、珍しいものなのだろうが、臨床医に比べて、保健婦と同じ領域で働いている、きわめて身近なパートナーであるべき「公衆衛生医師」に対する意識は、多くはこの程度のものである。変な話だが、その保健婦さん自身公衆衛生業界で働いているわけだから、自分の仕事がよくわかっていないのかもしれないけれど。もっとも、不思議そうな顔をされること自体は、公衆衛生医師自身が築いてきた歴史にも責任があるようだが、ここで述べることは避けることにする。

 ■地方自治体の行政機関である保健所に多い

 公衆衛生領域では、産業医をのぞくと、大学の衛生学、公衆衛生学教室や、行政(中央官庁、地方自治体)が医師の働き場となる。この中で、おそらくもっとも働く医師が多いのは地方自治体の行政機関である保健所である。現在は、保健所長は医師でなければならないとされており、また所長以外の医師がいて、2人以上勤務している場合も少なくない。ただし、2人目の医師の仕事は、きちんとしたものが確立していない自治体が多いのも現状である。保健所医師の仕事は、診療以外のところ、俗に「アタマの部分(後述する)」といわれるところにあるのだが、そのことへの理解は自治体内部でもあまり得られていないので、2人目の医師は、孤軍奮闘ということも少なくない。

 ■昭和30年代から希望者が激減

 GHQが公衆衛生対策を進めていた戦後間もない時期は、保健所に勤務する医師は多かったという。しかし、結核や腸管感染症の流行がおおむね片づいた昭和30年代から希望者が激減している。国民皆保険で医療機関の数が増大したことや、急性感染症という華やかな仕事がなくなったせいだろうといわれている。一部の先人は意欲に燃え、進んで保健所医師の道を選んだが、それはごく一部であった。自治体としては、医師の免許を持つ保健所長をおかなければならないが、なり手がないという時代が長く続いたのである。

 ■先進的な人たちは難しい時代を開いていった

<JINNTAさんの著書>
生草医者のひとりごと〜おちこぼれ公衆衛生医のエッセー
『生草医者のひとりごと〜おちこぼれ公衆衛生医のエッセー』(保健計画総合研究所刊 税込\1,575)

 そこで、病院の医師をしていて、全く公衆衛生経験がなく、しかも公衆衛生を知らない人をつれてきて保健所長にするケースが珍しくなかった。医師を保健所長にするときには資格要件があるが、これまでは一定の卒業後の年数があれば、臨床から転向してもすぐ所長になれた。もちろん、一部の先進的な人たちは公衆衛生に進んで、この難しい時代を開いていったのであるが、大部分の公衆衛生医師は、臨床に疲れて転身した人たちであったのである。私は臨床から公衆衛生への転向組であるが、臨床の教授に「保健所に行きたい」といったら、「まだ若いのに、医者の墓場に行くのか」と言われたことを覚えている。

 ■「保健行政のエキスパート」としての活用を

 もっとも、その要件は、まもなく大変厳しいものになる予定である。それは、年数の条件に加え、国立公衆衛生院でかなり長期間の研修を義務づけていることである(ただし現在すでに所長になっている人には適用されない)。これは、公衆衛生経験のない人を、いきなり地域の公衆衛生の第一線機関の責任者である「保健所長」にしないための英断であると思われる。なお、これらの研修は自治体から派遣されて受けるようになるが、もし、地方分権推進委員会のいうように、保健所長の資格要件「医師でなければならない(医師要件)」が撤廃されれば、自治体が予算を確保しない限り、保健所に就職した医師は、単に「診療マシン」として使われるだけで、保健所長にはなれないということにもなる。つまり、万一、医師要件がなくなった場合は、自治体に医師を保健行政のエキスパートとして活用する気があるか、それともただの「診療マシン」として位置づけるかという要素が大きくなると思われる。後者になった場合、エイズ対策を含め、科学的な視点に立脚した行政活動は、大幅に縮小されることになるだろう。

 ■保健所を自ら希望した医師たちの足跡

 さて、「保健所たそがれ」の状況に変化がみられ出したのは、昭和50年代のおわりごろからである。昭和50年代のおわりから60年代にかけて、20代、30代の医師が続々と保健所に職を求めてきだしたのである。この人たちの大部分は、卒後、あるいは臨床経験の中から、「公衆衛生」がやりたくて進路を探した結果、医師の定員がある「保健所」にたどり着いたという人々である。このグループは、さまざまな悪条件を克服しながら公衆衛生での医師の役割を作っていった人たちであるが、多くの人は現在40代になっており、この人たちの足跡として、地域公衆衛生の科学性が高められ、地域活動が強化されるに至っていることは、もっと紹介されてよいと思う。

 ■「保健所医師のアイデンティティショック」

ライフ・エイズ・プロジェクト(LAP)NEWSLETTERイラスト 医師にとって、公衆衛生領域が臨床と大きく違う点がある。それは、臨床では医師が指示せんを書き、他の医療職がそれに従って仕事をする体系であるのにくらべ、公衆衛生領域では、医師は、単なる一人のスタッフ(駒)でしかないということである。臨床から転向してくる医師が、まず、とまどう点がこれである。保健所長として転身した医師は、医師としてではなく、いわゆる「保健所長権限」があるのでまだしも、所長ではない医師として転身してきた者は、職員が誰一人として「医師の指示」では動かないという現実にショックを受け、自らのアイデンティティを求めてさまようことになる。ひどいところでは、あからさまに「検診の時聴診器だけ当てておいてくれたらよい、あとは本でも読んで時間をつぶしてくれ」と命じられる場合もあるという。これは俗に「保健所医師のアイデンティティショック」と呼ばれている。このショックに耐えられず、公衆衛生から臨床に転向あるいは復帰した人は多い。

 ■日本にも求められる系統的な養成システム

 「アイデンティティショック」の克服は、公衆衛生を志す医師を、公衆衛生医として一人前になるようきちんと養成することが一番の解決法である。外国では、公衆衛生大学院があって、公衆衛生を志す医師は公衆衛生大学院に進学する(ちなみに公衆衛生専門職になりたい人は、医師以外も進学する)。日本では、公衆衛生医師の系統的な養成システムは、実はほとんど機能していない。臨床では、「ギルド」だとか「インテリヤクザ制度」などといわれながらも、大学の各科臨床教授を頂点とする「医局制度」というものが存在している。一般には、臨床を志す医師は、卒業後どこかの「医局」に入局して卒後の診療と研究両面でのトレーニングを受けることとなり、一定レベル以上の診療及び研究能力を持った医師を作り出すシステムが確保されている。しかし、公衆衛生分野では、公衆衛生医師の養成機関である国立公衆衛生院で学べるチャンスが得られる医師はごく一部であり、大学の衛生学、公衆衛生学の教室も、「医局制度」のようなシステムを持っているわけではないので、研究者の養成はできても、トータルな「公衆衛生医師」の養成ができるようなところはあまり多くはないのが現状であるし、現に、多くの保健所医師は、大学の衛生学、公衆衛生学教室に関わりを持たずに就職していることが少なくないので、大学の応援すら得られないことが多い。

 ■公衆衛生医師に求められる3つの能力

ライフ・エイズ・プロジェクト(LAP)NEWSLETTERイラスト 保健所に勤務する公衆衛生医師に求められる技術は、診療能力ではない。要約すると「行政能力」「疫学・公衆衛生学の能力」「プライマリケアの能力」の3つである。残念ながら、保健所に医師を採用後、これらの能力を意識して育てている自治体はそう多くはない(たぶん、数えるほどしかない)。従って、心ある保健所医師はその能力を獲得するために、血のにじむような思いをして独学をすることになる。「疫学・公衆衛生学の能力」は、自治体から派遣してもらい国立公衆衛生院に留学するか(させてくれる自治体はそう多くはない)、自分の費用で医科大学の衛生・公衆衛生学の研究生として大学で学ぶという道があるが、「行政能力」は法律や行政学や経営学(マネジメント)を独学した上、実践は自治体内部で勉強するしかないし、「プライマリケア」もある程度の臨床経験が必要となるので、臨床研修を終えてから就職するか、自治体に理解を得るしかない。

 ■はずせない大学(衛生学、公衆衛生学)との交流

 保健所医師が学会や研修に行きたくとも、財政難で公務出張が難しくなりつつあるし、私費で勉強にいくにしても、そうそう仕事を休むわけにもいかないので、若い医師の勉強の機会はますます狭められる傾向にある。それは公衆衛生医の質の低下という現象を介して、地域住民に対する保健活動、ひいては健康水準の低下につながる。地域の健康水準を保つためには、公衆衛生医師の系統的な養成システムを早急に確保する必要があると思う。また、「疫学・公衆衛生学の能力」は、ただ単に教科書的に理解するというレベルではなく、実際に地域での理想の状態をえがくことができ、地域の問題を科学の目で考えることができるだけの基本的な研究能力(せめて自分の地域の問題に対して研究できて科学論文が書けるレベル)にまで高められておかなければならない。その意味では、今後、大学(衛生学、公衆衛生学)との交流という面ははずせない要素になってくると思われるが、その答えは今後、行政、大学の双方が協働して用意しなければならないだろう。

 ■エイズ対策を担っていく公衆衛生医師

 エイズ対策は公衆衛生学的アプローチを実践するには非常に良いモデルである。公衆衛生医師の質が低下してきたり、行政からいなくなったりすれば、地方でのエイズ対策は益々おぼつかないものとなってくることは自明である。
 身近にどのような人がいてほしいか、お役所の問題と言わずに、一度考えてみてはどうでしょうか。

JINNTA[エイズフォーラムスタッフ]


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