LAP NEWSLETTER

ちょっと医学的な免疫学初級講座[後編]

林直樹 

RETURN TOニュースレター第14号メニューに戻る

 96年3月24日、林直樹医師を講師に迎えた「ちょっと医学的な免疫学入門講座」が下北沢で行われました。その報告です。
 HIV感染症をより理解していくための一つのアプローチとして、免疫学についてなるべくわかりやすく解説していきたいと思っています。ご質問などございましたらどうぞLAPまでお寄せください。

  1. はじめに
- えー、林といいます。はじめに断っておきますけれど、私は免疫の専門家ではありません。精神科の医師で、日頃は免疫とはあまり関係ないところで働いています。誰かに免疫の話をしてもらいたいけど、医者だったら少しは知っているだろうと、手近な私に声がかかったのだと思いますけど、免疫学は学生の時に少しかじった程度で、試験が終わってからは1度も教科書を開いていませんでした。それで引き受けるほうも引き受けるほうなのですが、今日のために慌てて勉強しましたので、その程度の物と思って聞いてください。ところでAIDS/HIV感染症の話のなかによく、CD4とかCD8とか出てきますよね。このCDというもの、これは私が学生の時にはこういう言葉はなかったように思うんです。後になって調べたので今はだいたいの意味はわかりますが。それで学生の時の教科書をめくってみたんですけど、確かにない。これが私が使っていた教科書ですね(図1)。「医科免疫学」改訂第2版。いい教科書でした。で、今回、この話のために本屋に新しい教科書を見にいってびっくりしました。それがこれです(図2)。「医科免疫学」改訂第4版。サイズが大きくなっている。しかも2色刷りになって、表紙もカラフルになっている。まるで日の出の勢いの免疫学を象徴するようです。だいたい免疫学で重要なことがわかってきたのは一九六〇年代以降なんですね。今でもそれは続々と続いていて、本屋にいくと、ある年の免疫学での重要な論文を集めたものが1冊の本になって、毎年毎年出ている。免疫学ってそんな学問なんですね。
- -

  1. 「免疫」とは何か
- 免疫の話をするので、まず免疫とは何かを定義しておきましょう。「医科免疫学」より引きますと、免疫とは「外部から侵入する微生物、同種組織や体内に生じた不要産物など(抗原という)と特異的に反応して抗体をつくり、これを排除して生体防御し、その個体の恒常性を維持する現象」だそうです。わかったような、わからないような文章ですが、「抗体」などの言葉はあとで説明するとして、大事なところは傍線を引いた2ヵ所。「免疫」という言葉からはじめの傍線のほうは思いつくけれど、もっと大事なのはあとの傍線のほうの意味で、これはつまり「自分を自分として維持する」ということ。「自己」というものを規定しているのがすなわち免疫という現象なのです。そこでよく出てくるのが、多田富雄先生の名著「免疫の意味論」に出てくるヒヨコ。発生途中の卵の段階でニワトリにウズラの羽の部分を植え付けてやると、黒いウズラの羽を持ったヒヨコがかえる(図3)。でもこのヒヨコ、そのうちだらんと羽が垂れ下り、死んでしまうそうです。ところが移植するときにウズラの「胸腺」という、免疫に関わる重要な臓器になるところを一緒にニワトリに植え付けておけば、かえったニワトリは一生ウズラの羽をつけて生き延びるんだそうです。「自己」というものを免疫が規定していることを示す1例です。
 ところで、私は精神科医として、日頃は臨床ばかりしているんですが、その中に「精神分裂病」という病気があります。これも「自己とは何か」が問われる病気で、自己と他者の境界があいまいになってしまうんですね。だから自分の心のなかで起こっていることが幻聴や妄想となって、外からやってくるように思える。そういう意味で、「自己とは何か」という問いは私にもとても興味深いものです。

  1. 「免疫」の主役、リンパ球
 免疫の働きの中で主役となるのは、何といってもリンパ球です。リンパ球というのは白血球の1種で、血液やリンパ液に乗って全身をめぐり、あるいはひ臓という胃の後にある臓器や全身のリンパ節にたくさん集められています。ところで血液中には、リンパ球を含む白血球、赤血球、血小板といろいろな細胞がありますが、それらはもとをただせばみな骨髄のなかの「幹細胞」から分かれてできる。つまり初めの時点ではそれが何になるか決まっていないわけで、人のからだの仕組みの柔軟性がよくわかります(図4)。

-

T細胞とB細胞

 リンパ球にはT細胞とB細胞の2種類あり、数の割合はT細胞が7割、B細胞が2割です。実はこの他にNK(Natural Killer)細胞とよばれる細胞があって、癌の免疫で中心的な役割を果たしていますが、免疫の主役はあくまでT細胞とB細胞です。

胸腺におけるT細胞の教育

- 骨髄で作られた「幹細胞」が胸腺という臓器に移動してT細胞になっていきます。胸腺という臓器を聞いたことがありますか? これは心臓の前にある白いふわふわとした臓器で長い間何の働きをしているのかわからなかったのです(図5)。思春期の頃に最大になり、年をとったらほとんど痕跡を残すのみになってしまう。Thymusとつづりますが、これはタイムのこと。動物の胸腺を焼くと香ばしい匂いがして、フランス料理にあるそうです、よく知りませんけれど。だから胸腺で作られるのをT細胞という。この胸腺でT細胞を育てていく、その過程が面白い。
 免疫を担う細胞であるための最低でしかも最大の条件は、「自己」に対して反応しないことです。活きが悪すぎてもいけない、かといって良すぎて自分自身を攻撃するのも困る。そういう「ほどよい」T細胞になるように、胸腺でじっくりと教育されるわけです(図6)。

-

この際にT細胞が覚えさせられるのは、MHC(主要組織適合遺伝子複合体)というもの。これは人間一人一人で異なる標識のようなもので、ヒトではHLAともいう。白血病の治療の骨髄移植や肝臓移植の際に、合うとか合わないで問題となるものがこれです。
 この胸腺でのT細胞の教育は実に厳しいもので、無事に合格し成熟T細胞として出ていけるのはわずか2%(!)。98%は不合格となって胸腺内で死滅してしまう。体が非常に厳格に「自己」を維持しようとしている例を見ることができます。

CD4とCD8

 ところで、はじめにも出たCD4とか8とかいうやつ。これはひらたくいえば、リンパ球表面の「目じるし」のようなもので、リンパ球がMHCとくっつく際の接着剤の役目をします。
 胸腺でリンパ球が教育される過程で、初めリンパ球はCD4も8もどちらも持っていないのですが、次に両方持つようになり、最終的にはCD4かCD8のどちらかを持つようになります[図7]。

-

CD4を持ったものがヘルパーT細胞、CD8を持ったものがサプレッサーT細胞とキラーT細胞と呼ばれるものになります(一般にCD4数、CD8数と言う場合には「目印の数」ではなく、CD4もしくはCD8を表面に持つ細胞の数を指します)。

T細胞の種類

 なかなか各論ばかりで全体が見えてこないという不満がそろそろ聞こえてきそうですが、もう少し我慢して聞いてください。ヘルパーT細胞とは、読んで字のごとく「お助け屋」。免疫のいろいろな反応を活性化して全体として免疫反応が効率よく進むようにする。全体の指揮官の役割をとる。サプレッサーとはその反対。いつまでも免疫が活発なままでは困るので、時期が来たらサプレッサーが働いて、反応をおさえる。キラーは「殺し屋」。ウイルスを殺すのはキラーの役目。ところで、HIVはCD4にくっついて、ヘルパーT細胞に侵入する。免疫反応における指揮官に直接とりつくわけです。HIV感染症において、CD4値が問題にされるのはこのためです。

B細胞

- もうひとつのリンパ球、B細胞は骨髄(Bone Marrow)でつくられ、成熟すると考えられています。だからB細胞。鳥ではファブリキルス嚢(Bursa Fabricii)で育てられるので(図8)、それでB細胞ともいいますが、ヒトではそれにあたる器官が体内に見当らず、骨髄がその役目もすると言われていますが、正確なことはよくわかっていません。
 B細胞は免疫反応において、抗体の産生にあたります。抗体というのは免疫グロブリンという蛋白質で、異物(抗原)が侵入するとB細胞は抗体を大量に分泌し、それを体中にばらまいて、異物に対抗します。
 例えて言うなら、T細胞の戦い方は、自ら戦場に出ていく「白兵戦」ですが、B細胞のそれはもっとスマートな「ミサイル攻撃」と言えるでしょう。ただし何度も言うように、指揮権はT細胞が握っています。

[つづく]

■参考文献

▼「免疫の意味論」多田富雄著、青土社、一九九三年
▼「免疫 生体防御のメカニズム」奥村康著、講談社、一九九四年
▼「医科免疫学改訂第2版」菊地浩吉編著、南江堂、一九八一年
▼「医科免疫学改訂第4版」菊地浩吉編著、南江堂、一九九五年
▼「入門ビジュアルサイエンス からだと免疫のしくみ」
  上野川修一著、日本実業出版社、一九九六年

- -


RETURN TOニュースレター第14号メニューに戻る