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薬剤耐性、HAART、予防啓発
第15回日本エイズ学会レポート

新ヶ江 明遠 

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 '00年の京都に続き、第15回日本エイズ学会が東京(北とぴあ:東京都北区王子)で開かれた。会期は'01年11月29日〜12月1日までの3日間だった。
 今回の学会は「薬剤耐性の克服−より良いHAARTの開発・普及−感染予防啓発」をキーワードに、第14回日本性感染症学会との合同シンポジウムも行われた。その中のほんの一部ではあるが参加報告をさせていただきたい。
 なお、第16回日本エイズ学会は'02年11月28日〜11月30日まで名古屋(名古屋国際会議場)で開催される(会長は名古屋市立大学医学部分子医学研究所の岡本尚教授)。

 ■医療体制

 近畿地方、広島などの地方におけるHIV/AIDS診療の医療体制の実態についての調査結果が発表されていた。私自身関心のあった問題点は、[1]数年前の調査に比べて、拠点病院以外の病院側の受け入れ態勢はまだまだ不十分であるか、もしくは悪くなっている場合があるということ、[2]妊婦に対するコンセントなしの抗体検査が行なわれているケースがあるということ、などである。このようなデータが示すことは、医療者側のエイズに対する意識変容がまだまだ行なわれていないということではないだろうか。それか、エイズに対する認識が、世間的な風潮として、日本では希薄になっていると考えることができるかもしれない。いずれにしろ、今後HIV感染者が増加することが予測される現在、その整備が緊急に行なわれることを期待したいと思う。

 ■シンポジウム5 在日外国人の医療

 このシンポジウムで特に印象的だったセッションは、ブラジルと南アフリカで活躍されている日本人のお二人の方が、それぞれの国のエイズに対する取り組みやアクティビズムについてお話されていたことだった。このように、他国との比較によって日本の状況を客観的に見ることができるのは貴重な経験である。様々な示唆に富んだ興味深いものだった。
 ブラジルで活躍されている小貫大輔さんの発表は1996年にHIV感染者に対する無料の治療薬提供にいたるまでの歴史や活動などを、自分の体験を交えながら紹介されていたが、市民社会が政府に圧力をかけていくその過程が非常にエネルギッシュだと思った。
 国境なき医師団の一人として南アフリカで活躍されている平林史子さんの発表は、昨年話題になっていた南アフリカにおける医薬品入手問題の訴訟過程についてのものだった。しかし現実問題として、訴訟の結果と政府の現実的な対応の間には、まだまだ格差があるようである。今後、どのような展開をするのかは興味深い問題である。

 ■サテライトシンポジウム8 MSMにおけるHIV/STD感染とその予防に向けて

 MSMグループの今回の発表は、台湾、アメリカからの研究者による予防活動やHIV感染動向が紹介された。
 台湾から来られたイ・ミン・チェン教授の発表は、台湾のHIV感染者とゲイサウナを利用している顧客に対して行なった血液検査の結果に関する分子疫学の発表。会場にいる人から「そのような調査に対して、ゲイの間から反発はなかったのか」という質問が出ていた。台湾でも同性愛者を対象とした研究に対する反発があったということが話されていた。
 アメリカからは、疫学研究者とアジア系ゲイコミュニティとの協働の予防活動についての発表があった。プロテアーゼ阻害薬が認可されるようになって以来、エイズに対する考え方に大きな変化があったのは日本でも同じであるが、予防に対してゲイコミュニティ自体が疲れているという見解が述べられていた。その他、現在では、血液ではなく唾液でHIVの抗体検査ができるようになっているらしい。
 全体的な印象として、今回の発表では何か新しい見解が出たわけではなかった。MSMに対する予防活動が、今後どのような方向へ向かうのかは興味があるところである。

 ■シンポジウム7 感染者の権利

 このシンポジウムでは、3人の発表者が人権・倫理・哲学という立場からの発表を行なった。HIV抗体検査に関する義務と権利について発表された服部先生は、医療現場でのインフォームドコンセントなしの抗体検査について、それが行なわれた場合の倫理的な問題について問題提起をされた。杉山先生は弁護士という立場から、エイズの診療において医師と患者の間で起こる様々な問題を法律との絡みで述べられた。樽井先生は倫理学者の立場から、パートナー告知に関する問題を、アメリカで起こった実例などをもとに議論された。
 このシンポジウムでは、実際の現場で起こるであろう倫理的な問題を議論していたが、会場の医師からはこのシンポジウムの議論の内容について、本当に意味のある内容だったかというコメントがなされていた。しかし今回のようなシンポジウムは、医師が行なう医療行為が、社会的にどのような意味をもつのかということを知るための客観的な材料になるのではないかと思う。このような問題に対しては、医師はもっと意識的であるべきではないか。

[新ヶ江 明遠]


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