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予防指針に関する雑感

草田央 

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 1998年9月28日に感染症新法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)が成立し、昨年4月1日より施行され、エイズ予防法は廃止された。エイズに関しては、感染症新法の枠内で対策がとられていくことになったわけである。

 感染症新法は、その法律名に「感染症の患者に対する医療」が含まれたとか、前文に「過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」とした反省が明記されたなど、ほとんど勝利宣言とも受け取れるように主張するむきもあるようだ。しかし私は、そうした小手先の修正をほとんど評価していない。

 ■本質において何も変わっていない法律

 月刊メディカル・テクノロジー別冊『感染症新法のてびき』(医歯薬出版株式会社)のなかで、大阪大学医学部附属病院感染症対策部副部長の浅利誠志氏は「新法で何が変わるのか?」と題する最後の章で、次のように記述している。

 強制隔離の実施、大都市圏における第1種及び第2種感染症指定医療機関の不足、検査体制の不備、関連各機関との連絡網の不備など、これまでの「伝染病予防法」とさほど変わらない印象を受ける。明らかに変わる点としては、医療費が患者負担となることと、医療行政における知事の権限が著しく拡大することがあげられる。(34頁)
 

 私も浅利氏の意見と全く同意見だ。感染症新法は性病予防法とエイズ予防法を伝染病予防法に統合しただけの本質において何も変わっていない法律でしかないのだ。

 たとえば、エイズ発生動向調査委員会の発表を見てみるがいい。エイズ予防法のときと、感染症新法での今と、ほとんど何も変わっていない。エイズ予防法では、第五条のただし書き「当該感染者が血液凝固因子製剤の投与により感染したと認められる場合には、当該感染者について報告することを要しない」が存在した。感染症新法にはそのような除外規定は存在しないのだが、エイズ発生動向調査委員会の発表ではあいかわらず「なお、後天性免疫不全症候群の予防に関する法律施行後(八九年二月一七日以降)、凝固因子製剤が原因と推定されるものは、法による報告の対象から除外されている」と注記され、その統計手法に変化はない。各自治体において『本当は』何人の感染者がいるのか今もって不明なままなのである。

 さらに、未発症者が発症したなどという病状の変化については、エイズ予防法と同様、任意報告とされた。つまり、地域に、入院等を要する発症者が何人いて、そのために確保しておくべきベッド数の算定といった二次予防対策は、不可能なままである。これなら定点観測にして推定値を出していった方が、はかるに対策に有効な統計となるだろう。感染症新法は、伝染病予防法やエイズ予防法と同様、国民に安心感を与えるためだけの、予防には何の役にも立たない法律でしかないのだ。

 ■日本の予防指針は十年前のヨーロッパと同等

 そうした感染症新法では、第十一条において特定感染症予防指針を作成することとされ、エイズについても予防指針がつくられ、昨年十月四日付で告示された。(http://www.t3.rim.or.jp/~aids/prevent40.html)一次予防から三次予防といった公衆衛生対策の基本を無視した法律の枠内での予防指針では、初めから限界があるのは自明のことである。

 しかも、同様に作成されることとなっている性感染症予防指針より先につくられた。エイズは、基本的に性行為感染症の一種と位置付けられるべきである。性感染症予防指針で網羅できないエイズの特殊性に関して、エイズ予防指針がつくられるべきではないのか。あとからつくられる性感染症予防指針との連係の必要性をうたってみても、それでは体系的な対策ができようはずもない。

 しかし出てきた予防指針は『マシ』な印象を受けた。この『マシ』という評価は、従来のほとんど何もない状況から比べれば飛躍であり、欧米の対策から比べれば、まだまだ不十分というレベルを指している。ちょうどヨーロッパで一九八九年に採択された勧告を個人的に翻訳し終わったときだった。今回の日本の予防指針は、その十年前のヨーロッパの勧告と同等のレベルだと感じたのである。日本は、ようやく十年前のヨーロッパのレベルに到達したのである。

 ■評価できる「個別施策層対策」

 十年前のヨーロッパ勧告と今回の日本の予防指針を比較してみて、予防指針が優れている点は、個別施策層対策を掲げたことである。個別施策層対策とは、従来の不特定多数を対象にした対策ではなく、もっとターゲットを絞って、きめ細かな対策をとっていこうというものである。エイズが登場した一九八〇年代では、まず幅広く警鐘を鳴らすという意味で、不特定多数に対する啓発が有効とされた。しかし、とりあえずエイズという病気が周知された一九九〇年代においては、不特定多数に対する型通りの啓発では、もはやほとんど効果を発揮できなくなっていた。それゆえ欧米では、個別施策層対策がエイズ対策の主流とされるようになったのである。今回の日本の予防指針は、この十年の欧米でのエイズ対策の進化を、ようやくとりいれたものとして評価できるだろう。

 けれども、予防指針の作成を検討した公衆衛生審議会の小委員会では、委員の一部から異論も出されたという。それはハイリスク・グループという概念が差別偏見を助長させたことの二の前になるのではないかという危惧であった。  そもそもハイリスク・グループという疫学的な概念に、差別偏見のニュアンスは含まれていない。感染原因を特定するために、どのようなグループに病気の危険性が高いのかを特定することは、非常に重要なことなのだ。問題だったのは、病気の原因が特定(エイズで言えば、ウイルスが性行為や血液を通じて伝播すること)された後も、ハイリスク・グループという言葉が使用され続けたことなのだ。本来は、原因が特定されたのだから予防対策の次の段階として、ハイリスク・ビヘイビア(危険行為)の概念に移行しなければならなかったのだ。ところが、予防対策の過ちとして、最も安易な『おどし』の手法が用いられ、その脅しにハイリスク・グループの概念が悪用されたというのが、過去の正確な評価であろうと思われる。

 したがって、ハイリスク・グループや個別施策層といった概念に問題があるわけではない。今回の個別施策層といった概念も、脅しの啓蒙で悪用することは十分可能である。その結果、個別施策層(青少年、外国人、同性愛者、性風俗産業従事者及び利用者)に対する差別偏見が助長される可能性はあるかもしれない。だからといって、個別施策層対策を放棄することは、本末転倒と言わねばならない。何が真に予防対策として有効なのか、そこを見失ってはならない。脅しの啓蒙には限界があり、その助長された差別偏見によって、予防対策としてはむしろマイナスであったことは、歴史が証明していることなのである。

 ■エイズ対策の重要な柱である輸血対策が欠如

 今回の日本の予防指針が十年前のヨーロッパ勧告より劣っている点としては、輸血対策の欠如が挙げられる。

 日本はずっと、エイズ対策から輸血問題を除外してきた。しかし、HIVが血液及び精液を介して感染する以上、性行為感染対策のみならず、輸血対策がエイズ対策の重要な柱の一つであることは、世界の常識である。性感染症予防指針に盛り込まれないエイズの特殊性があるとすれば、輸血問題は外せない点であるはずだ。

 現在、日本では保健所で無料匿名検査が受けられる。だが、保健所の検査は、検査日や時間が限られていたり、必ずしも交通の便の良いところに所在するわけではないので、その検査数は年々減少している。かわって、年々増加しているのではないかとされているのが、検査目的での献血である。日赤の献血所は交通の便の良いところにあり、移動車でわざわざ出向いてくれることもある。休日に献血を受付ていることもある。無料どころか、ジュースなどの接待も受けられる。さらに日赤の検査は、保健所よりも感度が高く、早い時期から感染を判定できる。そして、実質的に日赤は感染者に対する告知を行なっている。その結果、日本の献血におけるHIV陽性率は増加の一途をたどり、昨年も輸血による二名の感染者を出すに至っているのである。

 検査体制と輸血問題がリンクしているというのは、一例に過ぎない。輸血対策も、相互不可分なものとして、総合的なエイズ対策のなかで位置付けることが必要なのである。

 エイズに関する総合的な対策のための予防指針ではないのか。この点が、未だに改善されない点として指摘できるだろう。

 ■『市民委員』の可能性と果たすべき任務

 エイズ予防指針は、昨年一月から七月にかけて公衆衛生審議会内に小委員会を設置し、七回にわたって検討を重ねてきたという。

 残念ながら、こうした経緯は、当時、少なくとも私の耳には、ほとんど入って来なかった。厚生省のホームページを見ている限りでは、その開催の告知も議事録も公開されなかった。一般からの意見募集も、少なくともインターネット上で目にすることはなかった。感染症新法の法案策定過程も「傍聴も可能で公開されていた」とは言うものの、同様のものであった。近年では、さまざまな審議会が議事録を公開し、一般からの意見の募集を周知させようとしているのに比べると(それらはアリバイづくりにしかなっていないのだが)、ほとんど密室協議であったと言えるのではないかと思うのだ。

 しかし私は、それを厚生省の怠慢だとして非難するつもりはない。最近は、さまざまな審議会に、専門家以外の、消費者の代表であったり患者の代表であったりと、一般市民が委員として参画する機会が増えてきているからだ。今回の小委員会にも、四名の感染者が委員として参加したという。

 専門家以外の委員に課せられている使命は、まず自らの属するグループの意見を取りまとめ、その意見を代表して委員会で主張することにある。次に、委員会の内容を自分のグループに持ち帰り、正確に伝達することも重要な任務だ。その上で、再度グループ内で検討し、その意見を携え、再び委員会で主張することになる。単に素人感覚で、素人の勝手な意見を発言すればいいというものでは毛頭ないのである。したがって、市民運動の感覚からすれば、議事録の公開だとか意見の募集などは、厚生省に課せられた使命などではなく、そうした『市民委員』が最低限やらなければならない任務であると私は考える。

 小委員会に参加した大石敏寛氏は、動くゲイとレズビアンの会(アカー)を代表し、アカーのなかにワーキンググループを編成したという。ここに私は『市民委員』の意義を見、NGO(非政府組織)が政策決定に参画していく可能性を感じることができる。でなければ「感染者の意見も聞きました」といった従前のアリバイづくりの政策決定と何も変わらなくなってしまうだろう。感染者というだけでは他の多くの感染者の意見を代表しているなどとはとうてい言えないことは明らかであるのだから。

 ■政策立案に対等に参画できるNGOを

 昨年六月二八日に開かれた中央薬事審議会血液製剤特別部会では、献血の際の問診票の改訂が議論された。その議事録を読むと、その情報を事前に知ったアカーが問診票の抜本的な改革案を提出していたらしいことがわかる。今回の改訂は、コンピュータシステムの変更をともなわない小手先の変更にとどめるとして、アカーの提言書は具体的な検討の俎上には、あげられなかった。しかし、その内容は、無知な専門委員が感嘆するような内容であったことが、議事録から読みとれる。委員のなかに、現行の問診票の問題意識を植えつけることには、少なくとも成功したように見える。

 今までの審議会方式は、官僚の作成した政策にお墨付きを与えるだけの「御用学者」とも言うべき『無知な』専門家を集めたものだった。もちろん、官僚の政策に批判的な委員も少数入れてガス抜きし、そうした批判(もちろん本質的な批判ではなく、枝葉末節な批判)も多少組み入れて修正の上、第三者機関による意思決定の体裁をとってきたのである。私が「アリバイづくり」と表現するのは、そうした審議のことを言っている。これが日本の政策決定を、無責任で前例主義で、無効なものにしてきたのである。

 真に有効な政策を実現しようとした場合、むしろNGOが政策を立案し、政府(行政)が公の立場でそれを審議し、必要とあれば修正を行なうのが望ましいとアメリカなどでは考えられているようだ。ところが日本では、公の立場であるはず官僚への信頼が失墜し、それを民間の第三者機関がチェックしようなどという本末転倒な主張が多い。そうした第三者機関は、官僚のイエスマンとして機能するか、批判のための批判を繰り返すかのどちらかである。それゆえ、日本には建設的な議論が存在せず、真に有効な政策も成立しないというわけだ。

 エイズ関連のNGOで、アカー以外に、そうしたNGOとしての役割を果たしている団体を私は知らない。ほとんどの団体が、行政の下請けとして安くこき使われているか、官僚のアリバイづくりに利用されているか、単なる批判のための批判を行なっているに過ぎないように見える。

 新しい千年紀、行政と真に対等の立場で、正論でもって政策立案に参画できるNGOがどこまで育っていくかが、エイズ対策においてもカギとなってくるだろう。

  [草田 央]
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