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草田コラム
HIV感染は免疫力を高める!?

草田央 

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 一般にエイズの啓発では、次のような説明がなされていないだろうか。
 まずHIVは、悪魔か目鼻口をつけられ擬人化されたバイキンのようにイラスト表示される。そのHIVは、忍者かカメレオンのように七変化し、免疫機能という身体の“防衛軍”の“攻撃”をかわしていく。CD4陽性T細胞(ヘルパーT細胞)という防衛軍の司令塔にとりついたHIVは、そこを乗っ取り増殖し、最後は破壊してしまう。その結果、感染者の免疫力は低下し、最後には死に至るのだと。
 これが「正しい知識を持ちましょう」と喧伝している啓発の中身だ。しかし、こうした説明は必ずしも学問的に正しくない。

 ■意思を持たないHIVを擬人化する意図は?

 最初に、「ウイルスは生物ではない」点をおさえておきたいと思う。単独では生物としての要件である自己増殖能を持っていないからだ。
 ウイルスという言葉は、もともとラテン語の「毒素」という意味である。その点からもウイルス感染症は、有害物質による中毒と細菌等感染症との中間に位置していると考える方が妥当ではないかとも思えるのだ。ウイルスは、「生物(細菌等)と無生物(毒物)の間にあるもの」というわけだ。
 実際、公衆衛生上の対策を考えた場合、その病因が生物であるか無生物であるかで、それほど大きく異なるとは考えにくい。特に未知の病原体(生物であるか無生物であるか特定されていない段階)である場合、その対策は同じでしかない。一刻も早く病因を特定し、治療法を見つけ出すことである。しかしながら我が国の場合、有害物質対策と感染症対策は、法律上も行政上も明確に分離されてしまっている。そして感染症対策の中心に位置づけられるのが、感染者対策だ。これが有効な公衆衛生対策の機能しない一つの要因にもなっていると考えられる。和歌山のカレー毒物混入事件で、最初に食中毒が疑われ対応が遅れたのは、記憶に新しいところだ。
 生物でもないHIVを擬人化することは、そこにHIVそれ自体の意思(悪意)を感じさせることになる。人間とは別の生物を体内に宿した感染者は、もはや人間ではなく「エイリアン」とみなされる。それが恐怖を生み、差別偏見を助長し、冷静で適切な行動を取れなくする結果につながるのだ。

 ■免疫機能がまるで無力であるかのような表現

 次に、HIVが免疫機能の攻撃をかいくぐる点について見てみよう。
 たしかにHIVは変異する。しかし、変異するのはHIVの専売特許ではない。ウイルスは概して変異するものだし、細菌だって薬剤耐性などを獲得する変異を行なう。もちろんHIVは、どちらかと言えば変異の激しい部類に属するウイルスではあるだろう。だからといって、それを強調することに、どれほどの意味があるのだろうか。
 しかも身体の免疫機能は、HIVに対して無効なわけではない。ある程度有効に機能しているのである。汚染された血液を輸血しても十パーセントもの人が感染しないというのも、生体防御が成功した事例である。感染直後には急増したウイルス量が、その後、一定レベルに抑え込まれるのも、免疫機能のおかげである。感染してから数週間後に産生される抗体だって、ある程度HIVの抑制に貢献していると考えられている。
 生体防御が機能しているからこそ、HIVは感染力も弱く、病気の進行が非常にゆっくりなのである。たしかに感染後、免疫機能が完全にHIVを抑圧するには至らない。そこに慢性感染症としてのHIVの特色はある。けれども、あたかも免疫機能が全く無力であるかのような表現は、明らかに間違っている。
 そうした啓発が、実際以上にHIVを手ごわい敵に仕立て、恐怖を与えているのである。

 ■リンパ球がHIVによって破壊される?

 エイズ教育では、感染したリンパ球がHIVによって破壊され、その結果、感染者の免疫機能が低下していくと教えられる。たしかにHIV発見の過程で、同じレトロウイルスである成人T細胞白血病ウイルス(HTLV)は細胞を不死化させるが、エイズの原因ウイルスは細胞を死滅させるとされたものだ。
 が、その見解はすぐさま修正されることになる。感染者の免疫不全は、ほとんどの場合、HIVに感染していない細胞が次々と死滅していくことによってもたらされていることが明らかとなったからだ。逆に感染した細胞であっても、ほとんどの場合、死滅することなく、(HIVを産生しながら)HIVとの共存状態を続けることが試験管レベルでも確認されている。
 最初に提示された仮説は、HIVに感染した細胞(感染細胞)が感染していない細胞(非感染細胞)とくっつき合胞体を形成し多核巨細胞となり、自滅するのではないかということだった。いわば感染細胞が非感染細胞を巻き添えにしているのではないかということだ。けれども、この現象は試験管内では観察されているが、生体内ではほとんど観察できないという。
 HIV感染症を自己免疫疾患と位置付ける者は古くからいた。自己免疫疾患とは、本来は非自己に対してのみ選択的に働くべき免疫機能が、自己に対しても働き身体そのものを攻撃してしまう病気だ。
 HIV感染症の場合、HIV感染によって刺激された免疫機能が暴走をし始め、非感染細胞に対しても攻撃し死滅させ、最後にはメルトダウンを起してしまうというイメージだ。実際、HIV感染者のアレルギー反応は高進するという。免疫機能の指標は、何もCD4値だけではない。前述したように、免疫機能はさまざまな要素が複雑に絡み合った機能なのだ。HIV感染者のCD4値は低下するが(というか、HIV感染症の進行状態を知る指標としてCD4値を見つけ出したのだ)、総体的な免疫機能としては、むしろ高まっていると考えられるのだ。HIV感染症の治療薬として免疫抑制剤が研究され続けている理由もそこにある。

 ■撲滅を画策するのか、共生を選択するのか

 アポトーシス(プログラムされた細胞の自殺)も以前から注目されている。すべての細胞には、自爆装置みたいな遺伝子があるという。HIVはヒトの細胞の中に自らの遺伝子を導入し、そこで増殖していく。それを阻止すべく、ヒトの免疫機能はHIVの増殖機関となった細胞の自爆スイッチを入れて、HIVもろとも排除しようと働くのである。自爆スイッチは同時に、まわりにいる非感染細胞にも働く。新たな感染を引き起こさせないという意図かもしれない。
 興味深いのは、一般にサルがSIV(サルのエイズウイルス)に感染しても、このアポトーシスを起こさないことである。そのため、サルはSIVと共生し、エイズを発症せず、天寿を全うする。HIVの撲滅をはかるヒトの場合、自らの細胞を次々と自殺に追い込み、最終的には自らの個体の死をもってHIVの撲滅を完成させるのである。
 『利己的な遺伝子』的な発想に立てば、HIVが宿主の死を望むはずもない。HIVが細胞を破壊しているのではない。HIVに対抗すべく、宿主が自ら死を選んでいるのである。どちらもHIVが原因であることには違いはないが、そのニュアンスは大きく異なる。
 社会的にもエイズとの共生を選択するのか、撲滅を画策するのかということにもつながってくるのではないか。

 ■恐怖をもたらす「脅しによる啓発」の効果

 このほかにも感染者のCD4陽性T細胞の減少には、さまざまな要因が絡んでいる。いずれも「HIVが細胞を破壊して…」などという単純な構図ではない。今まで行なわれてきた(そして今も行なわれている)エイズの啓発が、医学的に正確なものとはとうてい言えないという点は、ご理解いただけただろうか。
 「生物だろうか無生物だろうが、破壊だろうが自殺だろうが、それは大した違いじゃない。我々は研究者じゃないんだから」と、あなたは思うかもしれない。私もそう思う。
 しかし、学問的事実に反してまでそうした『隠喩』を用いるのには、明確な意図があるはずだ。それは脅しによって啓発をしようとする意図である。外来生物が、変幻自在しながら防衛網をかいくぐり、破壊の限りを尽くすというイメージは、(『エイズとその隠喩』を著いた)スーザン・ソンダクの指摘を待つまでもなく、人々に恐怖をもたらす。「正しい知識」という偽りの仮面を被って、恐怖でもって人々の行動を変えようとしているのが現在のエイズ啓発の実態なのだ。
 「キャンペーン効果が一時的でしかない」…脅しによる啓発である以上、当たり前のことだ。恐怖は永続しないのだから。
 「差別偏見がなくならない」…いくら差別偏見の解消をうたってみても、啓発の中身が脅しである限り、その反作用として差別偏見が生じてくるのは避けられないことである。
 まず、あなたがやっている啓発は、正しい知識の普及でも何でもない、脅しによる啓発であることを自覚するべきだ。あなたは人々に誤ったイメージを植えつけることによって、行動の変容をはかろうとしているのだ。そして脅しによる啓発である以上、一方で「差別偏見はやめましょう」などというオタメゴカシな主張はするべきではない。そんな主張は効果がなく、単なるアリバイづくりでしかないのだから。

 ■自分の頭で考えてこそ行動変容が可能となる

 もしあなたが脅しでない啓発をしたいならば、今までの啓発の手法を捨て去らなくてはならない。そして今まであなたが教えこまれてきたエイズに関する知識を疑ってみるべきだ。その上で一から模索してみる必要がある。
 「そんなことはできない。どうしたらいいか教えてほしい」と思われるなら、あなたには啓発する側に立つべき資格はない。真の啓発とは、単なる知識の植えつけではない。自分の頭で考えられるための材料やノウハウの提供のことだと私は考える。自分の頭で考えて初めて、自らの行動の変容が可能となるのだ。
 あなたのような人こそ、啓発される側に立たなければならないのだ。

  [草田 央]
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