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PHAの社会的自立支援事業レポート
パソコンでお仕事[第3回]

岡部翔太 

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 「身体的な負担が少なく、時間が自由になる仕事がしたい」そんなPHA(HIV感染者・患者)の希望から始まった「PHAの社会的自立支援事業」。現在は主に「パソコンを使った在宅勤務」を目指した活動を進めています。全てのPHAに役立つ活動ではありませんが、PHA自身が人生設計を作っていく上でのチョイスの一つとして有効な場合があるのではないでしょうか。
 この活動を通じ、最近パソコンでのお仕事を始めた岡部さんの手記の第三回目です。

 ■忙しかったり暇だったり

 年度末にかけて、鬼の様な忙しさで、このままこの忙しさが続くんだろうかとありがたいようなそうでないような揺れる気持ちのまま(97年)4月が過ぎ、5月に入るとパッタリ仕事がなくなった。7月ももう終わろうとしているのにここへきてやっと仕事の依頼がぼちぼち来たかなというくらいなのである。これでいいのかな〜と毎日考えてしまうのだけど考えてどうなるものでもない。これがフリーの宿命なのかもしれない。LAPさんの考えではたぶんPHAでもこういう生き方ができるんだよという一つの例を紹介しようとして僕のところに原稿の依頼が来たんだろうけど、はっきり言ってこの仕事は他のPHA(HIV感染者・エイズ患者)にはお勧め出来ないんだよね。コンスタントに仕事が必ずしもあるわけじゃないし、そうなれば必然的に収入は不安定になるし、忙しいときは2日くらい徹夜しなきゃならないときもあるし、PHAにとっては心にも身体にも結構負担になるものです。そんな甘いもんじゃないっすよ。今回はその仕事のことを中心に進めていきたいと思います(あ〜、やっと本題に入れる)。

 以前も書いたけど、LAPのホームページ作りに参加させていただいて、ますますパソコンに向かう時間が増えていった。飽きっぽい性格の僕にしては珍しい出来事だ。それどころか、このパソコンで仕事が出来ないだろうかとまで考えるようになっていた。

 無謀な野望ではあったけれど、そこはそれ、なんやかんやといろいろあって会社を辞めてしまい(このへんは最後に詳しく書きます)タイミングよく一緒に仕事をしないかというお誘いが舞い込んでくるもので、翔太君としては願ったり叶ったりで、少しの迷いもなく飛び込んでしまったのでありました(少しは悩めよ!)。

 ■師匠と呼ばせてもらいます!

 会社を辞めてしまった僕は、しばらくはのほほ〜んと過ごそうかと考えていたのですが、めぐり合わせと恐ろしいもので、タイミングよく仕事をしないかと勧めてくれる人が現れたのです。それが今の「師匠」です。

 Macに関することならほとんどわからないことなんてないんじゃないかってくらい知識も技術もすげー持っていて(この辺のニュアンスが微妙でしょ、師匠?)、最初のころは素人とプロの違いをまざまざと見せつけられた思いがしたものです(今もだけど)。

 最初の話だとサポート程度の仕事量という話しだったのに、タイミングよく次々と仕事の依頼が来ちゃって僕ごときがこんな仕事しちゃっていいの? ってくらい大きな仕事をしちゃって、休む間もなかったね。そのおかげで新会社設立という大きな買い物もできたんだけど。僕としてはMacを教えてもらいながらと思ってたんだけどゆっくり教えてもらえるようになったのはホントに最近のことなのです。でも、今の仕事はすごく楽しくて色々なソフトの操作もおぼえられるし、某大企業の内情も笑えるし、話題に事欠かないのです。それに、師匠は僕の病気のこともセクシャリティも知ってるので隠す必要がなく、すごくラクチンです。

 ■僕が会社を辞めた理由

 なんやかんやいろいろあって会社を辞めた、と書いたけど、理由を一つ挙げるとするならうっとうしくなっちゃったんですよ。いろんなことが。自分の周りがうっとうしくて、全て投げ出したくなることなんて誰でもあるだろうし、その度に放り出してたら生きていけないことぐらいわかってますって。

 どこでどんな情報を仕入れてきたのかわからないけど、会社の社長に僕が感染していることを知られてしまった(たぶん、この時点で会社の社員のほとんどが知っていたと思うんだけど)。とうとう自分の身にも降りかかってきたかと割りと冷静に受け止めてしまった。

 ある時突然社長直々に呼び出しがあった。

社長「君、AIDSなんだって?」

翔太「お答えする必要があるでしょうか?」(翔太君らしくすげー生意気に。それに俺はHIVには感染してるけどAIDSじゃね〜んだよ!)

社長「言ってくれなくちゃ困るじゃないか」

翔太「…」(だから何でオメーに言わなきゃなんねーんだよ、タコ)

社長「君がそんな病気だなんて…。やせてるわけじゃないし顔色悪いわけじゃないし、わかんないもんだね。」

翔太「…」(オメーの家には新聞もテレビもねーのかよ。この病気がどんなものか少しくらい知ってろよ。あ〜カッタルイ)

社長「会社や他の社員にどんな影響を与えるか考えたことあるのかね」

翔太「…」(フー、まだ話続くのかな。今日の晩飯は何作ろうかな。あ、ここ新宿伊勢丹が近いからお惣菜買って帰ろう! そうだよ、やっぱり伊勢丹よね、うん)

社長「履歴書の健康状態の欄に『良好』って書いてるね。」

翔太「…」(小田急線で帰ろうかな、JRにしようかな。わざわざ本社まで呼びつけやがって。あ、そうだ。お惣菜いっぱい買ってあいつの家行って一緒に飯食おう」

社長「これは契約違反だね!」

翔太「…」(アレ? このタコ俺が辞めるって言うの待ってるのかな?)

社長「どうだね?」

翔太「辞めます! 明日から来なくていいですね」(アッサリ)

社長「???」(アッサリしすぎて動揺しまくってる)

翔太「いいですね。明日から来なくても!」

社長「…」

翔太「来ませんよ!」

社長「き、急に辞められるのは困る。辞める時は一カ月前に言ってもらわないと…。君が辞めるなら新たに求人かけないとならないから。人手不足なの君もわかってるだろ?」

翔太「…わかりました」

 この社長いつもこうである。今回の件に限らず、誰かが辞める時、いつもこうでなので、だいたい予想はしてたけどね。

 この社長は許せないけど、お世話になった先輩や同僚達には迷惑かけたくなかったから条件をのんでしまった。とっても小さな小さな会社だったので人一人辞めるととんでもないことになるのは知ってたからね。

 ■翔太の人生なんだから

 LAPでこの出来事を話すと『なんで感染してることがバレるの?』、『いい弁護士紹介しようか?』といろいろ心配してもらっちゃって、本当にありがとね。でも、本人にはあまり大きな出来事っていう意識がなくて、次の仕事は何やろうかな〜なんて軽く考えちゃってたんだ。

『なんで感染してることがバレるの?』  

 んー、僕自身それほど神経質に隠してなかったからね。薬もみんなの前で平気で飲んでたし、AIDS関連のボランティア団体(LAPのことに限らず)に出入りしてたの知ってたし、定期的に病院に行くために休暇取ってたし、もしかしたら酔った勢いで自分から喋ったのかもしれないし、要因なんていくらでもあるっていえばあるんだよね。

『いい弁護士紹介しようか?』

 裁判してもねー。何のためにするの。自分のため? 今後同じことがあった時のために自分がそのきっかけになって社会に問いかける? もしね、裁判をして自分の権利を勝ち取ったとしてその会社に今までどうり勤められるとは思えないし、それほどやりがいを感じてた仕事でもないから勤め続ける価値はなさそうだし、賠償金もらったってそれで一生暮らせるわけないし、そう考えると翔太自身だけのためになることってたいしてないな〜と思ったんだよね。どこかの他人のためにそんなことしてる時間も余裕もないの。自分の生活の方が大事ですもの。傲慢でしょうか?

 ■自分で決めた生きるすべ

 LAPニュースレターに書く機会を与えられて本当に自分のことだけ書いてきた。たぶん誤解を受けるところもあるだろうし、反論したい人もいると思う。でも、翔太君は万人に理解してもらおうなんて思ってないしそんな文章書く気もない。だからこそわかって欲しいんです。パソコンの仕事を勧めてるのではないし、会社を辞めることを勧めてるのでもない。たまたま僕がパソコンとこういう付き合いができて、会社を辞める時はすでにパソコンで仕事をしたいという気持ちに傾いていて、辞めたら運良くパソコンの仕事が飛び込んで来たというだけの話なんです。別にパソコンの仕事は楽でいいよとは言ってないし、裁判してでも守るべきものならすべきだと思うしね。

 PHAだとかそうじゃないとかそんなことはどうでもいいこと。仕事してようがしてなかろうが関係ない。人の人生とやかく言われるのが一番むかつく。自分で決めた生きるすべなら、それで幸せならなんだっていいじゃないですか。

 自分にとっての自分らしさで生きていくのが大切だと思う、ね。

[岡部翔太]


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