LAP NEWSLETTER

第10回国際エイズ会議参加報告

清水茂徳 他 

RETURN TOニュースレター第6号メニューに戻る

 第10回国際エイズ会議が今年8月7日から11日まで横浜で行われました。
 LAPは展示会場にブース(展示スペース)を出展し、LAPの活動紹介、資料の配布、ニュースレターの販売等を行いました。

 アジアで初めて開催された国際エイズ会議は総会、分科会、ラウンドテーブルディスカッションにおける学術行事、NGO(非政府組織)・GO(政府組織)・企業の展示発表、教育・文化活動などが活発にくりひろげられました。
 参加者は世界130カ国から12463人(国内5140人、海外7323人)。また、10日と11日は展示会場の一部が無料で一般公開され、7500人の入場があったそうです。
 この会議の目的を塩川優一組織委員長は次のように述べています。「第一はエイズ研究の成果の医療への応用を促進し、少しでも予防と治療に役立てていくことです。第二の目的はこの会議を通じてエイズとともに生きる人々に対する社会的支援の幅を広げていくことです」(AIDS CONF-ERENCE NEWS より)。
 会議の期間中には600の講演と2700のポスター発表が行われました。この講演・発表は[A]基礎医学[B]臨床と治療・ケア[C]疫学・予防[D]社会・教育の四つの分野から構成されています。
 展示会場には100を越える世界のNGOのブースが出展され、企業や政府機関のブースも多数ありました。LAPの出展したブースにも多くの方が訪れてくれました。また、たくさんの会員の方にもお手伝いいただきました。お忙しい中、会場に来て下さった皆さん、本当にありがとうございました。
 次回の国際エイズ会議は再来年の7月7日から12日までバンクーバーで行われます。LAPとしてどの様に参加していくことができるか、考えていきたいと思います。

[清水茂徳]


■一人のPWAとしての、国際エイズ会議 [椎名剛]

 開会式には仕事の都合で出ることができなかった。
 その夜、BGM代わりに付けていたテレビから、国際会議の開会式の様子がニュースとして流れた。それは、大石君が会場のPWAに起立を求めた場面だった。
 顔にはモザイクがかけられていたけれど、カメラが起立した人達の姿を流しながら撮っていた。言い様のない重い気持ちになった。自分がその会場にいたら、どうしていただろうか? やはり立てないでいただろう。そして、そんな自分自身を、後ろめたく思っただろう。
 「悪いのは、カミングアウトできない状況なのだ」といくら自分に言い聞かせても、コソコソとしか生きられない自分が嫌だった。病気の事を親にさえも言えない自分が嫌だった。
 その夜は、ほとんど眠れなかった。
 その次の日から、時間は不規則だったけれど、毎日LAPのブースにお邪魔した。色々な方と再会できた。そして、たくさんの新しい人と巡り合えた。全員とはいかなかったけれど、自分がPWAであることを告げる事もできた。そんな小さなカミングアウトができたのも、あの場所の持っていた優しい雰囲気がそれを手伝ってくれたからだろう。
 PWAが公の場所で、大きな犠牲を払わずにカミングアウトするのは不可能だ。しかし、少なくとも友人や家族などのプライベートなレベルでのカミンングアウトが、普通にできるような社会になってくれればと願わずにはいられない。


■初体験 [紫 知]

 「これじゃ、ボランティアのボランティアじゃない。」
 エイズに対して懐疑的な母が、小言を言いながら差し入れのおむすびをにぎってくれました。的を得ていたので、私は海苔を巻ながら頷くだけでしたが内心は、それでも手伝ってくれる母に感謝していました。
 参加して感じた事は、『安心する』という事でした。それは新宿二丁目でインタビューされていた学生が、
「此処に来るとホッとするんだ。」
と答えていた彼の気持ちと、少し似ているのかしらと勝手に思っていました。
 嬉しかった事は、IDカードを身に付けているだけで何にでもパスできた事です。ジーンズにエプロンという姿で、ドカドカと開会式やレセプションに繰り出したのは快感でした。
 会員になりたての私にとって、地元・横浜での国際会議は本当に良い機会に巡り合えたと思います。
 初対面にかかわらず、すぐに打ち解けられて良かったです、特に清水さんには色々気を使って頂いて感謝しています。
 有り難うございました。


■第10回国際エイズ会議に参加して [穂中 英美梨]

 私は、8月7日(月)のお昼頃から、LAPのブース出展の準備を手伝い、開会式に出席するため会議センターへ行きました。中はもう外国という感じで外国人がたくさんいて、軽食コーナーは英語で書かれていて外国に行ったような気になりました。その後8月10日(水)の午前中LAPのブースにいて、午後は会議に参加しました。
 私が参加したのはAS−66「売春者と顧客の疫学的問題」とAS−75「売買春に影響する構造的問題」です。AS−66はタイ、アメリカのマイアミ、フランス、日本の調査報告がなされ、HIVの感染率と他のSTDのこと、経口避妊薬のこと、日本のソープランドではC型肝炎の感染者がみられたこと等ききました。質疑応答のとき英語があまりよくわからないフランス人の発表者に日本人が質問し、会場から英語と仏語の通訳をする人があらわれたりして、人と人が助け合う場面がみられほのぼのとしました。
 AS−75はAS−66の学術的雰囲気とはうってかわって元気な女性達の登場で、セックスワーカーの人権を訴えていました。憐れみでみられたくない、安全に仕事ができることそして産業権を訴える先進国の女性がいました。「私は秘書になれるとしてもセックスワーカーでいたい。秘書にはなりたくない」「次回は後進国の貧困の為選べなくて家族を支えるためこの仕事をせざるを得ない当事者を呼んでよしい」というような意見をききました。この会場の素晴らしいパワーに圧倒され、おちこんでいた私の気持ちは少し上向き、そうだ!明日から仕事がんばらなくっちゃ。と思いました。世の中には卑しい仕事なんてないんだと思いました。
 私はこの間、女性としてともて悲しい思いになりましたが、それでもがんばって生きていかなくちゃならないだなと思いました。


■マスコミによって消された語り部 [渡部 享宏]

 「HIV感染者や患者が安心して医療を受けられる病院を地域に整備するために、厚生省が都道府県に設置を求めている拠点病院の選定が、難行している」という。
 理由は、どれもイメージダウンや、受け入れを表明したところで何のメリットもなく、他の患者が来なくなるといった警戒心からだという。
 この問題を新聞で知ったのは、国際エイズ会議前後だった。ある会議のセクションの中で、 「医療従事者はもっと人権について学ばなければ、全体的に差別を許可する行動をとりかねない」 と指摘されていた。
 事実、新聞に大きく取り上げられることにより、読み手側はエイズに対して多少なりとも不安をあおられることだろう。率先して行動すべき医療現場に、このような偏見があるのは遺憾に思う。
 この話を知人の医療従事者にしたところ、様々な意見を聞くことが出来た。ある医大生は次のように言った。
「感染経路さえしっかり理解していれば、世間が恐がるほどの病気ではない」
 確かに、危険とされる感染経路の一つ、異性間性交渉でさえ、コンドームなしで性交渉しても感染はたった0.1%〜1%という感染力の弱いウイルスだということを世間は認識していないのではないか。
 また、ある看護婦は
、 「(敬遠している世間の風潮をふまえた上で)HIV感染者、AIDS患者が安心して医療を受けられる病院こそ、他の患者も(医療や設備の面で)安心できる病院だ、ということをアピールすればいいのに」と言う。
 一般的に日本のエイズは顔を持たない病といった感がある。なぜなら、マスコミが非道徳的な行動によって感染した奇病だ、というレッテルを形成してしまい、汚れた病という認識を大部分の人が持ってしまった。そして、HIV感染を公表することにより、増悪の対象になりかねないからだ。
 私は、恐いのはHIVであり、HIV感染者ではないというPWA/H(HIV感染者・エイズ患者)自身の「語り部」不足を感じる。むやみに世間に公表する必要性はないにしろ、PWA/H自身が周囲に危険を警鐘する必要はあるのではないか。私も一人のPWAに会って、「たかがHIVごとき恐くない」と思ったように。
 そして、これからPWA/Hに限らずマイノリティが普通の人として暮らしていけるように、「差別する側」から戦いを起こし社会を形成していかなければならないと思う。


RETURN TOニュースレター第6号メニューに戻る