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Aさんの介護を通じて

清水茂徳 

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 今年の8月、僕たちはAさんというエイズ患者の方と出会いました。
 病院で治療を拒否され、都内のマンションにやってきたAさんと会ってから5日間、僕らはAさんの介護をしました。
 4日目にやっと駒込病院に入院できました。が、免疫不全と敗血症のため、翌日、Aさんは生きを引き取りました。
 そうした中で、僕たちは、PWAのケア・サポートの充実を早急に進めて行かなくてはいけないことを確認しました。
 また、PWAの方のための「シェルター」(緊急避難所)を創設したいという思いが固まりました。

 Aさんは30代のタイ人の方。僕が初めて会ったときは39度の熱がありました。
 8月のある日、平田豊さんから僕の所に電話がありました。
「いま、タイの患者の人が来ていて、僕が今夜面倒を見ることになっているのだけど、彼は足が悪くて、一人じゃ無理だから清水君、来てくれないか」と。
 急いでそのマンションに駆けつけると、布団にAさんが寝ていまいした。その晩は平田さんがすごく熱心に彼のお世話をしていたのが印象的でした。
 彼が起きると、「トイレか」と身振り手振りで彼に聞くのです。「トイレじゃない」と彼が身振りで示すと、今度は「じゃあ、腹が減ったか」「これを飲むか」と身振り手振りで問いかけます。
 平田さんがアイスクリームに桃を入れて「清水君、彼にこれを食べさせて」といいまいsた。
 彼に「食べる?」と聞くと「いいや」と首を振ります。「いらないみたいよ」と僕が言うと、平田さんは「大丈夫、口までもって行けば食べるから」というのです。本当かなと思いつつ口まで持っていくと、彼は食べ始めました。そう、彼はひどく「遠慮がち」だったのです。
 みちこも書いていますがAさんは自分の欲求を出すことをひどくためっらっていました。まわりの人に気を使いました。
 2日目の朝、みちこが来てくれて彼にマッサージをしていると彼は僕の方を見て「スリープ」といいました。Aさんは僕に「疲れているんだから寝なさい」といったのです。
 その半面、自分の欲求は何もいいませんでした。今まで診療拒否や「たらいまわし」に会ってきた中で、彼は日本という国や人への不信感を感じていたのでしょう。彼がやっと自分のしたいこと、して欲しいことを表現し始めたのは3日目を過ぎた頃からでした。

 病院との交渉、行政とのやり取り、法律的な問題についてはエイズを考える会の方やアジア人の支援グループの方たちがやってくれました。そのおかげで僕たちはAさんの介護に集中することが出来ました。

 5日目の朝、僕ともう一人のスタッフとで駒込病院に行きました。
 タイ語のできる方が昨日から付き添っていました。Aさんはしきりに「本当は手足を暖めなくちゃいけないのに」、と昨日からの付添の話をその方から聞きました。  体中が痛いということなのですが鎮痛剤を打つことは出来ないそうです。なので、僕らは交代でマッサージを始めました。
 マッサージをしているとAさんも少しは痛みが和らぐのか嬉しそうな表情になります。
 しばらくして、Aさんが「マッサージはもういい、ありがとう」といいました。
 それからまもなくして、Aさんは息を引き取りました。本当にその直前まで意識ははっきりとしていました。

 Aさんとの出会いは突然のものでした。
 そして、介護がすぐに必要とされることも僕らにとってははじめてのことでした。介護する場所の確保も(今回はエイズを考える会の方で用意していてだけていまいしたが)、重要です。
 今後は発症してから感染を知る人たちが増えてくることが予想されます。そうした人たちには「すぐ」のサポートが必要です。
 LAPはまだまだ小さいグループです。人もお金もあまりありません。これからもっともっとPWAの方へのサポート体制を作っていきます。

 どんなことでも結構です。あなたの力を貸して下さい。

 シェルターを開設することができました。
 詳しくは後頁をお読み下さい。


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