各界エキスパートが語る「はじめてのエイズ学会」

■今回学会出席が初めてのあなたへ。(国立病院九州医療センター 矢永由里子)

■NGO代表「も」語る 「はじめてのエイズ学会」(ぷれいす東京 代表 池上 千寿子)

■事務局が語る「はじめてのエイズ学会」(エイズ学会事務局)

■心は静岡県人、HIV感染者が語る「はじめてのエイズ学会」(せかんどかみんぐあうと 大石敏寛)

■ウイルス研究者が語る「はじめてのエイズ学会」(東北大学 小柳 義夫)

■公衆衛生エキスパートが語る「はじめてのエイズ学会」((財)エイズ予防財団 国際協力部長 桜井 賢樹)

■皆勤賞ドクターが語る「はじめてのエイズ学会」(広島大学医学部附属病院輸血部 高田 昇)

■ナースが語る「はじめてのエイズ学会」(学会事務局 堀 成美(Nurse))

■臨床医が語る「はじめてのエイズ学会」(東京医科大学 山元 泰之)


今回学会出席が初めてのあなたへ。

 いよいよ12月2日がやってきました。
 エイズ学会に緊張と期待を持って今回初参加するあなたは、この学会の雰囲気をどのように感じているでしょうか。
 不思議な国に迷い込んだアリスのような戸惑いも経験しているかもしれません。学会場で接触する全てのもののサイズが異常に大きく感じられたり、、、違和感の中でちょっと心細くなったり、、、、。
 私もエイズ学会に初めて出席するため、第一歩を踏み入れた時のこと、今でも覚えています。未知へのわくわくする期待と、でもそれと同じ位の緊張感。今回のあなたと同じですね。
 でも、ちょっと深呼吸してあたりを見渡してください。
 この学会は医学の専門家の他に、HIV感染者の人達を始め、職種も活動内容も異なる人達がエイズを接点に集まってきています。そして彼ら、彼女たちはとてもエネルギッシュです。何が彼らをそうさせるのかよくわかりませんが、エイズについてそれぞれの立場から前向きに活動をし、その報告を発表したり、文書で配布したりします。情報交換やネットワーク作りにも余念がありません。
 このような風変わりな学会は今の日本ではここ以外、まず出会えないでしょう。
 これからの3日間、この学会場に身を置くことで、日本でのエイズの様々な側面を見ること、感じること、考えることが出来ると思います。そして、そこから、あなたのエイズへの関わりのヒントが生まれてくるかもしれません。
 アリスは不思議な国で沢山の冒険をやりました。
 あなたも今日からエイズ学会であなたなりの冒険をトライしてください。応援しています。

今でも冒険を続けているお姉さんより
国立病院九州医療センター 矢永由里子


NGO代表「も」語る 「はじめてのエイズ学会」

 こんにちは。「学会」とはいうけれど、学会「も」あるというご案内のように、発表「も」あるけど、ネットワークや「であい」や「気づき」の場でもあるんです。とくに今回はそんな可能性にみちた「場」がおおくて迷って困ってしまうくらい。とりわけ、今までほとんどとりあげられなかった「女性とエイズ」、学会前日の1日には渋谷のウイメンズプラザで公開シンポジウムがあり、重点セッション「女性と母子感染」(2日)でその報告をしますね。女性とエイズについての「発表」は少ないけど、こいー話し合いができそう、、、、、まってます。

ぷれいす東京 代表 池上千寿子


事務局が語る「はじめてのエイズ学会」

 日本エイズ学会は、エイズという病気が医療や社会で注目をされた1980年代半ばに医師を中心として始まった学会です。
 その後会の名称や構成員の変化もありましたが、現在は基礎の研究者・臨床医・薬剤師・心理職・看護職・教育関係者・行政の担当者・NGOなど、幅広い分野からの参加があります。
 会員制度がありますが、年に一度の学術集会には会員外の参加も増えています。そういう意味において、医学系学会としてはたいへんユニークな学会であるといわれています。

 毎年の事務局は基礎系と臨床系の会長の特色が出て、参加者はそうした雰囲気の違いも楽しめる学会です。今年は都立駒込病院感染症科が事務局を担当しています。昨年に続いて東京での開催のため、東京の関係者はがっかりしているときいていますが(名所もこれといって食べたいものもない?)、来年は京都で開催されます。

 今年は新しい試みとして重点セッションが設けられています。これは通常時間が不足するディスカッションをより深めるために企画されました。1999年における日本の課題について、焦点を明確にし、今後専門家や行政が取り組んでいく方向性を見出せればと期待されています。

 事務局としての新しい試みはホームページの開設があります。人手不足を補うためでしたが、関係者のインターネット対応度も高く、たくさんの方に利用していただきました。

 もうひとつの新しい試みは、当日会場で配布されるアンケートです。現在エイズ学会については会員構成などのデータがありません。このアンケートによって、ニーズや今後の課題を広く皆様からうかがえることと期待しています。当日の記入のご協力をお願いいたします。

 会場にはたくさんの関係者があふれています。
 年に一度の貴重な機会です。
 ぜひ声をかけあって有意義な時間を皆で共有していただければと思います。

学会事務局


心は静岡県人、HIV感染者が語る「はじめてのエイズ学会」

 日本のエイズ事情を知るためには、この学会は、とても有効だと思います。医学的な発表から、コミュニティ活動の発表まで様々です。

 さて、初めて参加する場合は、なにかと不安が付きまといます。私もはじめて参加したときは、不安でした。理解できるかなぁとか、自分は場違いなんじゃないかとか。でも、海外のエイズ学会に比べると全然OK。それは全部、日本語の発表(当り前ですが)だから、理解するのは、内容だけです。それに、学会自体、誰もが参加できる開かれた学会でなければ、それは、ただのマニアの集まりであり、日本のエイズ状況をよりよくしていく方向にはなかなかならないのではと最近思います。ですから、エイズのことをやっている人だけでなく、興味がある方は是非参加してほしいでですね。内容が難しすぎたら、自分が勉強不足と反省するだけでなく、発表者が聴衆に理解してもらう努力が足りないくらい強気でいきましょう。(こんな強気な発言で、私の発表、理解されなかったらどうしよう)

 ということで、他にも、本会議だけではなく、サテライトセッションも興味深いものも、今回の学会ではいくつもあります。同性愛の問題からカウンセリングまで。これまた興味深い。(宣伝してすいません)是非、この機会に、いろんなものを吸収してみてはいかがでしょうか。

 会場でお会いしましょう。

せかんどかみんぐあうと 大石敏寛


ウイルス研究者が語る「はじめてのエイズ学会」

 HIVってなに。ウイルスだけど、ばい菌じゃないよ。ばい菌は理科で習った細胞だけど、ウイルスは細胞よりずーとずーと小さなRNAという遺伝子とたんぱく質の塊です。そして、このウイルスは僕らの体の中の細胞で増えるのです。こんな小さな塊が人間にどんなパンチを食らわせ、倒すか、ミクロの世界ではわかっていません。そして、この塊から守ってくれるワクチンだってないんです。ミクロ決死隊として体の中をのぞくために、おおまじめにやっている人たちの寄合いの集まりです。

東北大学 小柳義夫


公衆衛生エキスパートが語る「はじめてのエイズ学会」

日本エイズ学会へようこそ!

 はじめて参加の皆さん、日本エイズ学会へようこそ。 今年は第10回という、エイズ学会にとっても歴史的節目の年です。 その年にはじめて参加される皆さんは、日本のエイズのこれからのミレニアム(テンニアム?)を占う運命的参加者なのです。

私とエイズとの出会いは1983年3月、米国NIHにおいてでした。今から考えると、あの時がまさに運命的な出会いだったのでしょう。 84年2月にユタ州パークシティで開かれた研究会は、ギャロとモンタニエが初めて同じ場所で議論した歴史的会議であり、たった5人の日本人参加者の1人であった私は、当時エイズを専門にしていなくても、生物学・臨床・疫学そして社会学のあらゆる意味においてそのエキサイティングな議論に魅了されました。以来約15年間、人類のポジティブな知恵とネガティブな偏見との競演? をずっと見させていただき、さらに今後10年以内に実用化されるであろうエイズワクチン戦略のもたらす利益と落とし穴について、皆さんと共に見守っていきたいと思っています。

  どうか皆さんも、この第10回日本エイズ学会参加をきっかけに、地域の現場から日本エイズ学会、アジア太平洋地域エイズ会議、そして国際エイズ会議へと、議論の場およびネットワークを広げていってください。

(財)エイズ予防財団 国際協力部長 桜井賢樹


皆勤賞ドクターが語る「はじめてのエイズ学会」

 私は第1回の京都の研究会の時から、全出席です。えへん! だからこの学会の変遷を見てきました。第1回のとき基礎研究者の発表が続く中で、会場の前列に陣取った患者さんの石田吉明さんが、質問したんですよ。びっくりしました。彼の必死の気持ちがよく伝わってきました。

 それ以来、分野が広くなり、専門家に素人やボランティアが混然となった面白い雰囲気の学会になってしまったのです。ある年の総会では、研究会から学会に昇格しようして名称を「エイズ医学会」に決めるところでした。私は“医”が独占してもエイズの問題は解決がつかないと思い、「エイズ学会」を主張しました。皆さんもそう思われたようです。

 素人の人が本当に発表の内容を知りたかったら、「あなたが言っていることはわからない。わかるように説明して欲しい。」と主張してはいかがですか。学問を専門家から奪い返すいい機会になります。昔、アクトアップの誰かが「沈黙は死だ」と叫び、主張を繰り返しました。

 で、元に戻って、石田さんの質問に対し、研究者は丁寧に答えられたと記憶しています。「難しいもんですなぁ」と言いながら石田さんは引き下がりました。満足されたと思います。学会場で大勢の人を見たら、「私の前にはこんなに沢山の人がいる。そして私の後ろには誰もいない。」と圧倒され、くじけるかもしれません。でも居直ってください。誰もが初めての時はそうだったのですから。ようこそ! エイズ学会へ。

広島大学医学部附属病院
輸血部 高田 昇


ナースが語る「はじめてのエイズ学会」

 定期異動や看護部のしばりもなんのそのとがんばるナースも多く、毎回の学会への参加人数も多いそうです。ケアやカウンセリング、教育関連のセッションに出没している人が多そうです。最近は服薬関連の演題も増えています。

 発表の内容はバラエティにとんでいます。逆に言うと、看護職が発表するから「看護研究」とは単純にはいえない状況にあります。

 看護実践の意味を検討して言語化していく方法論をこれから発展・共有していかないといけないのでしょう。

 息のつまりそうな重苦しい診療の中で、患者さんにもっとも身近なスタッフとして、明るく笑顔でいるための努力は惜しまない。

 そんなナースが居眠りしているのを見つけても怒らないでくださいね。それはきっと発表のせいではなくて夜勤明けのせい・・・。

 ぜひたくさんの知り合いを作ってかえってください。
 そして職場や地域に学会の温度を伝えて下さい。

学会事務局 堀 成美(Nurse)


臨床医が語る「はじめてのエイズ学会」

 はじめてのAIDS学会というお題で、何か書けという指令があり、とても困った自分です。自分会議を開き話し合おうとしましたが、会議の参加者が足りず結論はでなかったのでした。

 自分のはじめてのAIDS学会はいつのことだっただろうか?そんなことでも書こうかと、思い出そうとした。うぁー、判らない。この4−5年は出ているようだ。大体場所はどこだったっけ? そうかこういう時のために学会のHPには歴史のペェジがあるのだなぁ。(長い間の謎が解けました。)きっと第5回か第6回ころからだろう。何をしていたか、どんな感想だったか・…。うーん参考にならない。自分は1987年ころからこの疾患に取り組むことになったのですが、それまでは会期中は留守番だったということのほうがよく覚えています。ただ出始めた90年代のはじまりの頃は、「こんなことが起きました、おまけにこんなことも…」という形の経験談義が多く、暗かったですね。教育的な内容も多かったです。

 何年か前の抄録集を開くと、結構笑えます。「何某の試み」とか「なになにへの取り組み」とか試行をテーマにしたもので結実しているものは本当に少ない。「その後どうしたんですくわ?」と電話をしてやりたい衝動すら覚えます。

 1996年前後からのプロテアーゼインヒビターの登場以来状況は随分変わりました。インターネットの普及で情報の浸透も早くなりました。このHPにも薬剤の一覧表が載っています。1997年は多剤併用療法の成果の報告が多く、1998年は多剤併用療法の負の面も浮かび上がらせていました。今年は昨年の延長線上にあるだろうと思います。そしてこれまで目の行き届きにくかった社会的な問題が前面に出る最初の会になるのであろうか? とも感じています。

 AIDS学会は、さまざまな職種・患者・団体が混在して報告しあうので、どんな立場の人であっても居場所が見つかるようです。ただし人語を解さないと難しいですが。HIV医療の分野では、ガイドラインはありますが、数十年単位で経験されてきた疾患ではないので不明確な点を多く残しています。ですから演者達は結構言いたい放題です。はっきりした結論がでないのであまり先鋭な議論はありません。日本人は調和・横並びが好き好きなのでおとなしい印象を受けます。米国のコピーのような報告も多いです。

 昨年サテライトシンポジウムを行う側になり、心がけたのは、少しそうしたムードを壊してやろうということでした。今年はどうなるでしょう。新しい人たちが沢山集まり新風を吹き込んでもらいたいものです。東京の気温は5度〜10度くらいです。どんな格好で出ても違和感はありません。ただゲタはうるさいのでやめましょう。

東京医科大学 山元 泰之